1854年日米和親条約締結とともに長年の鎖国が終わり、同時に下田と箱館の開港がなされました。これで日本も開国!海外との貿易開始!?

いえいえ、そうではありません。実はこの下田と箱館の開港は、貿易港という形ではなく、あくまでも寄港を認め、必要品の供給、一定区域を自由に出歩くことを許可したものなんです。今回はそんな日本の開港についてのお話です。

一番最初に開かれた下田。なぜ下田!?

箱館の開港は分かりますが、どうしてもう一つの港は下田になったのでしょう?実は条約交渉の段階で、アメリカ側(ペリーさんです)はなんと一気に5港の開港を日本側へ要求したそうです。その中にはペリーが来航した浦賀も入っていました。まずはこの写真を見てください。

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(画像出典:Wikipedia 東京湾)

はい、東京湾の写真です。東京湾はどこからどこまでか?というと、房総半島と三浦半島を結ぶ線の北側で、南側は浦賀水道と呼ばれているそうです。

この浦賀水道の港をペリーさんは要求してきた訳です。少し入れば将軍のお膝元である江戸!初めに言われた時にはきっと冷や汗ものだったでしょう。

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