MACHI LOG 編集部


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彦斎が20歳の時にはペリーが来航、続いて安政の大獄が起こるなど時勢はますます彦斎の思想を尊王攘夷へと向けさせました。

ともに京へ

同じ肥後藩の志士の中には、脱藩し上京しようとしたものも多くいましたが彦斎はお金もなかったので、宮部らと連携しながら藩命で上京できるように奔走します。裏工作がうまくいき、朝廷から熊本藩へ京都警護の要請がきたことで彦斎も宮部らと供に上京することになりました。

警護兵の職を解かれ皆ばらばらに

京都に各地から続々と攘夷志士が集まる中、朝廷の警護兵としてまじめに勤めていた彦斎は、朝廷の三条実美からも厚い信頼を受けていたそうです。しかし八月十八日の政変により長州藩と三条実美ら公卿たちは京を追放されることになります。

肥後藩は全員に藩へ帰国するように命令を出し、彦斎たちは熊本へと帰らなければならない状況になりました。しかし志士たちの中には脱藩し、長州とともに行動しようとする人たちも出始めます。彦斎もまたそのひとりでした。

池田屋事件による宮部と同志たちの死

厳戒態勢がとられる京で宮部らは強硬手段にでようと京へ再び潜伏します。しかし会談中に新撰組により襲撃され宮部はここで命をおとしました。彦斎の同志でもあり、友人でもあった多くの人もこの時ともに命をおとしています。彦斎は長州でこれを聞き、すぐに京へむかいました。

人斬りとして名をはせた佐久間象山の暗殺

長州の志士と行動をともにしていたため、佐久間象山を師としていた吉田松陰の門下生が彦斎のまわりには数多くいました。しかし彦斎は同志を集め、佐久間象山の暗殺を決行します。(宮部の敵を討つために上京し、たまたまみかけた象山を斬った、長州追放や池田屋事件に関わっていた象山に始めから狙いをつけていた、など諸説あるようです。)

長州・桂小五郎、高杉晋作、久坂玄瑞らとともに戦った彦斎

暗殺から数日後、禁門の変でも彦斎は長州とともに戦います。禁門の変で破れた後も、高杉晋作の挙兵に賛同し戦いましたが(高杉晋作とは、途中で彼が開国論に転じたため罵倒し絶交したとも言われています。)

幕府軍として肥後藩が長州藩と戦ったことを聞き、桂小五郎や高杉晋作がとめるにも関わらず藩を説得するため、ひとり熊本へと帰ります。

江戸から明治へ 獄中で過ごした一年

熊本に帰った彦斎を待っていたのは脱藩の罪による投獄でした。投獄されていた期間は一年にも及び、その間に大政奉還、鳥羽・伏見の戦いを経て幕府は崩壊。


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