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西郷隆盛も賞賛した行動力

一滴の血を流すことなく城を明け渡したことから「江戸無血開城」とも言われる旧幕府と新政府の交渉。

この交渉において、山岡鉄舟は徳川慶喜の命を受け西郷隆盛と事前の会談にのぞんでいます。この時鉄舟は、幕府側と対立する新政府軍が警備をする中、 “朝敵・徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る” と大声で堂々と歩いて行ったと言われています。

また、会談をした西郷隆盛は、後に「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と山岡鉄舟を賞賛しています。

垣根を超えた「清水の次朗長」とのつきあい

明治政府にとって反乱軍となる幕臣たちが乗った「咸臨丸」が清水港に入港し、攻撃を受けた後に乗組員が惨殺された「咸臨丸事件」。この時鉄舟は静岡藩の副知事となっていました。

反乱軍に加担すると厳罰に処されることから、海に打ち捨てられた幕臣たちの遺体に誰も手をつけることができない中、港の警備を任されていた次郎長が遺体を集めて埋めたことで彼に事情を聞いた鉄舟。

“死ねば仏だ。仏に官軍も賊軍もあるものか”  幕末・明治の侠客として名を馳せた「清水の次郎長 (山本長五郎)」はこう言って山岡鉄舟をうならせたと言われています。次郎長の任侠に感銘を受けた鉄舟と次郎長のつきあいはその後も続いています。

武人としての最期・座禅のまま逝った山岡鉄舟

鉄舟が亡くなったのは1888年 (明治21年) のこと。享年53歳。胃がんを患っての最期となりました。

見舞客が訪れる中、「そろそろだな」と言って死装束にあらため右手に扇子、左手に数珠、懐にはお経をともなって皇居の方角へ向かって座禅を組み、そのままの姿で大往生されたのだそうです。
参照元:小川山岡鉄舟会 小川町と鉄舟次郎長翁を知る会


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